目が覚めたら、なんだか辺りが暗かった。  自分は今の今まで眠っていて、夜中に目を覚ましたということだろうか。  ぼんやりとした頭でそんなことを考えながら、ゆっくりと覚醒を待つ。  鼻をくすぐるカビの臭い。  これは自分の部屋のものではないだろう。  寝ている場所も、布の感触こそすれ何故か堅い。  おかしいぞ、と。  ようやく認識した鳥取は、次第に慣れてきた目を駆使して、ぐるりと辺りを見渡してみる。  光源は、ある。  丁度昼時らしく高く昇った太陽が、天井に近い窓からわずかに差し込んでいるのだ。  部屋全体としては薄暗いながらも、その光に照らされているのは――跳び箱、マット、ボール入れ…… ――なるほど、体育用具倉庫か。  自分がいる場所をようやく認識し、鳥取は一人頷いた。  しかし、何故こんなところに自分は転がっていたのだろう。 「…………ん」 「!! ――へ?」  不意に、耳にくぐもった小さな声がとどいた。  びくりと身をすくませた鳥取は、声のしたほうに顔を向けて、はっとした。  自分の身体を抱くように丸まっているその姿は、おそらく、誰よりも見知った人物だったからだ。 「し、島根さん?」  声をかけてみるが、返事は無い。  すっかり寝入ってしまっているようだった。  そちらに近付こうとして、ふらふらと膝で立ったその時――ばさり、と鳥取の身体にかけられていた上着が床に落ちた。  慌てて拾い上げたその上着の持ち主は、もはや確かめるまでも無い。 ――か、風邪引かれてしまあが!  この晩秋の冷えた倉庫の中、決して丈夫な方ではない島根を放置するわけにいかない。  飛びつくように島根の側に寄ると、彼は制服のシャツ一枚ですっかり縮こまっていた。  まるで祈るように両手を胸元で重ね、膝を折り曲げてマットの上に横になっている。  上着を返そうと差し伸べた腕が、ふと止まった。 ――……寒かったなら、側で寝とれば良かったに……  幼い頃から近しくしてきた仲だというのに、どこまでも遠慮を重ねる島根の姿に、胸がふさがる思いだった。  そっと指を延ばして、重ねられた島根の手に触れる。  わずかに触れただけで、氷のように冷たい。  その感覚に、鳥取は反射的にぎゅうとその手を握った。  じわりと己の掌の熱が、島根の方に伝わるのが分かる。  制服越しにさえ冷たい肌を追うように、手首を、腕を、肩口を、ゆっくりと合わせてゆく。  島根はまだ目覚めない。  ただ、鳥取の温かさが心地よかったのか――まるで擦り寄るように、眠ったままに鳥取の首元に、頬を寄せてきた。 ――寝とんさるときは、くっついてくれーなあ。  いとけないその仕草に、知らず笑みがこぼれた。  なんだか、もっと側に寄りたい。  ようやく温まってほどけた手をゆっくりと離し、その腕で今度は島根に覆いかぶさるようにその身体を抱き込んだ。  鳥取より身長にして10センチばかり小さいその身体は、体格そのものにしてもやはり相応だ。  すっぽりと閉じ込める、というわけにはいかないけれど、すんなりと回した腕が馴染む。  もっと、近くに。  髪の毛に鼻先をうずめるようにすると、わずかに汗のにおいと、それから不思議と懐かしいにおいがする。  島根がいつも淹れてくれる、あのお茶の香りだろうか。  だが、もっと、違うもののような気もする。  どこまでゆけば、分かるのだろう。  そんな考えが脳裏を過ぎった、そのときである。 「………う……ん」  腕の中の身体が、身じろぎをした。  鳥取と同じように、寝起きの焦点の定まらない目で二三度瞬きをし、あたりを見渡そうとして――  その瞬間、信じられないほど間近にあった鳥取の双眸と視線がかち合った。 「――と…………ッ!?」 「おはよ、島根さん!」  鳥取はにっこりと笑って言うが、島根にしてみれば夢にも思わなかった事態である。  唖然として言葉を失った島根の身体を、しかし鳥取は目を覚ましたからといって離しはしなかった。  それどころか、余計に両腕に力を込めて咄嗟に逃げられないようにしてしまう。 「は、はははは放してごしないッ!!」 「なんで? ええが! 上着のお礼だけんー」  触れる肌が一気に熱を増したのが分かる。  どくどくと激しく鼓動する心臓の音さえ聞こえそうだ。  近い、でも――まだ足りないと、頭の奥で何かが叫んでいるような気がする。 「……ねえ、島根さん」  後ずさろうとする脚を己のそれで絡めるようにして押さえ込み、薄暗い中、恐らく真赤になっているだろう耳に囁く。 「こんまま溶けてしまったらええと、思わん?」  昼休みが終わった、五時間目。  うららかな晩秋の陽光に包まれる教室へと足を踏み入れた山口は、いつものように教卓についた。  クラス委員の広島の号令を聞きながら、何気なしに教室を見渡す。  ――ただでさえ少ない生徒の数が、明らかに減っているように見えた。 「……鳥取と島根はいないのか」  顔をしかめたのは、チャイムに間に合っていない生徒に対する苛立ちのせい、だけではない。  二人とも、普段ならば素行が真面目な部類に入る生徒達である。  授業の初めにいないからといって、短絡的にサボりだと考えることはない――普段ならば、の話だが。 「だってセンセー、鳥取がうるさかったんじゃ」  答えを返したのは岡山だった。  どういうことだと目を向けると、何故か満足げに腕組みをしている。 「香川にやたらベタベタしてきよったからな」 「岡山に助けてもらったんよー」  高めの椅子で足をぶらぶらとさせながら、香川はうんうんと頷いている。 「……体質だから仕方あるまい。それで、どうしたんだ」 「しばらくどっか置いとこうと思ったんだけど、島根も寂しがりよるから、いっそ二人で閉じ込めてやった!」 「は?」  朗らかに言い放つ岡山。  まさかのセリフに、山口が固まる。 「鳥取が他の連中に手出さんかったら島根も満足じゃろ?」 「俺悪くねーのに、島根泣きそうな顔でこっち見るし!」  岡山の言葉に、唇を尖らせた香川が補足する。  確かに島根は鳥取の発情期以降ずっと情緒不安定だが、でも、だからと言って。 「そうそう、鳥取も島根相手にすりゃいいわけだし! 一件落着、俺超頭良い!」 「あ……ッ、アホがぁあああ! あの状態の鳥取を隔離して校内で淫行に及ばれたらどうするんだ!!」 「え? だって別にそんくらいセンセーもやっ……」 「ぶちくらわすぞ!!」  ――今日も今日とてチョークが降るが、中四国クラスは平和である。