10/13スレ投下分の鳥取島根@体育倉庫の続き ---------------------------------------------------------------------------  紅い目。  呑み込まれてしまいそうだ。  吐息がかかるほどに近く、睦言を囁かれた耳がじんと痺れる。  脳が茹ってしまったように眩暈がするのに、紅い瞳に縛られたように顔を逸らすことが出来なかった。  硬直した島根を見つめる鳥取は、その様子に笑みを深くする。 「――島根さん、かわいー……」 「え……――!?」  押し留める暇も無かった。  戸惑いから開いた唇に、鳥取のそれが重ねられたのだ。  柔らかく触れるその熱に、島根の意識は一瞬で消し飛びそうになる。  だが、間を置かず口腔にすべり込んできたものに、否応無く目を覚まさせられた。 「ふ……ぅん……っ」  舌、が。  歯列をなぞるようなその熱さが触れた部分から、溶けてゆくようだ。  唇を閉ざして拒否することなど、もはや思いつくことも出来なかった。  力の入らない舌を探り出すように、歯列を割って奥へと侵入する。  深く、深く、まるで貪るように求めてくる鳥取は、どこか獣のようだ。  喉の渇きから水を飲み干すかのごとく、本能のままに島根を抱きすくめて離さない。  首を振って逃れようにも、いつの間にか頭をしっかりと押さえ込まれている。 「ん……――っぅ…ふ」  苦しい、のに、脳が痺れきってしまったようだった。  どちらのものとも分からぬ唾液が、顎を伝ってゆく。  大気に触れるその部分の冷たさを、どんどん熱くなる身体の中で否が応でも意識させられる。  思考もままならない頭、激しく鼓動し弾けてしまいそうな胸、そして浅ましくも疼く身体の内側――  ばらばらになってしまいそうだ、と思う。  鳥取が言ったように、まるで自分という存在が溶けて消えてしまいそうな、そんな感覚。 「うぅ……ッん、ぁ、」 「ん」  逃れようとしても、平然と追われる。  こんな鳥取を、島根は知らない。  本当に、生まれたときから近くにいるような仲だというのに、それでも。 ――と、鳥取さん、どげして、こがいなこと……っ!  冬が近付くと人恋しくなるのか、誰彼構わずすり寄るのは鳥取の困った癖だった。  だが、島根に対してはいつもなんら変わらぬ態度で接していたし、それを寂しくも思ったものだ。  けれど――鳥取は、人の肌を、こんな形で求めていたのだろうか。  島根の知らないところで、島根ではない誰かとも、こんな風に唇を重ね、肌を寄せたのだろうか。 ――山口先生が、鳥取さんに近付くなって言うとられなったのは……知っとられた、から? 「……ふ、ぅ………ぅぇ……っ」  知らない知らない知らない知らない知らない!  そんな鳥取は知らない!  島根の知る鳥取は、絶えず朗らかに笑っていて、俯きがちな己の顔をいつも外へと向けさせてくれた。 『田舎だって言われえけど、オレたちはオレたちのペースで行けばええが!』  快活に歩を進めながら、そんな風に己の手を引いてくれる、唯一無二の片割れなのだ、と――  熱を帯びた紅い目が、怖い。 「ひ、ぅ……っぇ……うぅ、ぅ……っ」  ぽたりと島根の眦を涙が伝ったのと、同時だった。 「――……!! ご、ごごごめん島根さん!! 泣かんでごせ!」  はっとしたような声と共に、すぐ近くにあった体温が飛びのく。  鳥取が身を起こし、島根の拘束を解いたのだ。  汗ばんでいた全身がさっと冷える感覚に、島根は我に返った。  瞬間、それまでよりもずっと、ずっと怖くなった。  身を引く鳥取の方に反射的に腕を伸べ――だが、その指先はひどく乱暴に、振り切られた。 「え…………」 「さ、触ったらいけん!」  激しい拒否に呆然とする島根の視線から逃れるように、鳥取は顔を背ける。  そのままふらりと立ち上がると、島根を組み敷いていたマットの上から滑り落ち、冷たい床に直にへたり込んだ。  背中を丸めてうなだれながら、鳥取は細々と言葉を繋ぐ。 「ホントに、ごめん……止まらんにぃ……オレ、島根さんだけは、泣かさんようにって……」  でも、ダメだったわ、と呟く鳥取の声に、いつものような明るさは無い。  島根には何が起こったのかも分からぬまま、恐怖の残滓からか声もなく涙だけがぽたぽたと落ちていた。  まるで今まで側にあった温かさが夢であったようで――けれど、内から火照るような身体の熱が、現実を告げる。 「と……とっとり……さ、ん……」  声の上ずりは、涙のせいばかりではなかった。  置いていかれるのが、怖い。  まるで自分のものではないようなこの身体を、極限まで高められたこの熱を、どうすればよいのかが、分からない。  情けないことにすぐに涙腺が決壊するたちの自分を、宥めてくれたのはいつでも鳥取だった。  けれどこちらに背を向けてうなだれる今の鳥取は、名を呼ぶ島根の声に応えてはくれなかった。  ――その時だ。 「おい! 開けるぞ!」 「センセー、やっぱり真っ最中だったらヤバいし開けまー」 「じゃかあしいわバカ山! 元はと言えばお前のまいた火種じゃろうが!」 「テメェ広島ァ!! だれがバカじゃっ!?」  騒がしさと共に大きな音を立てて開かれた扉から、外の光が差し込んだ  眩しさに目を伏せると、眦に浮かんでいた最後の涙がこめかみを伝ってマットに落ちる。  そのまま――処理能力の限界を越えた島根の意識は、焼き切れるように途切れた。  ――気が付けば、見慣れた寮の自室の天井を、ぼんやりと見ていた。 「ん? おお、目が覚めたか」 「……広島さん……」  ベッドの側に座っていた広島が、島根の覚醒に気付いて顔を向けてきた。  強面ではあるが、その表情の底に優しさがあることを、クラスの者なら誰でも知っている。  愛媛がクラス委員に広島を推したときも、島根にしては珍しく積極的に賛同を示したものだ。  もっとも、反対を叫んだのは岡山ただ一人であったが。 「山口先生から言伝じゃ。今日はもう六限休んで寝とれ。まあ今の時間だったら、ちょっとで放課後じゃけん」  それだけ言うために付き添っていてくれたわけではない、だろう。  心配をかけてしまったことに恥じ入るような気持ちで、島根は頷いた。 「だんだんなぁ……あの、鳥取さんは、どげしとらいますか……?」 「あー……一応、先生が授業の方に引っ張ってったはずじゃけえ」  答える広島の視線が逸れた。  この様子だと、鳥取の方もあの一連の出来事がこたえているのだろうか。  島根には、結局何が起こったのかまだ明確に理解できてはいなかったが――  背を向けた鳥取の傷悴したような様子だけは、ひどく鮮明に思い出せた。  会って、あの行動の理由を聞きたいと思う。  ……けれど同時に、不安で、怖くて――胸が押しつぶされそうにも、思う。 「――……もう、大丈夫ですけん……」  絞り出すようにそう言うと、震える声に何かを感じ取ったのだろう。  あァ、と一声返すと、広島はそれ以上は言わずに島根の部屋から出て行った。  ――ガチャ、とドアの閉まる音を、どこか遠くに聞く。  側から人の気配が消えたその瞬間、じわりと喉の奥から熱いものがこみ上げた。  嗚咽に変わりそうなそれを必死で押しとどめようとするのだが、涙ばかりはそうもいかなかった。  あの薄暗い体育用具倉庫で起きたことが、次から次へと断片的に思い出される。  鳥取の瞳が迫り、押さえ込まれ、口付け、られて――  そこまで思い至り、島根は一人赤面して布団を引っかぶった。  深く深く触れた熱を思い出した途端、身体もまたあの時の感覚を取り戻したのだ。  かぁっ、と熱くなる胸を押さえ込むようにして息を吐く。  喉を振るわせる嗚咽未満の痙攣の中、全く逆のベクトルに鼓動が高まっているのを感じた。 「………っく、……うぅ……」  何故、という問いが頭の中で繰り返される。  あんなにも恐ろしかったのに、熱を持つ己の身体が――浅ましく、醜い。  ぎゅうと顔を押し付けた布団に、溢れた涙が吸われていった。  放課後の教室、茜色の夕日の差し込む中に、腕組みをして佇む一人の教師。  ――その目の前には、正座させられている少年が二人。 「岡山、お前自分の肩書きを覚えているか……?」  こめかみを引きつらせながらの山口の問いに、あっけらかんとした答えが返る。 「もちろんじゃ! 風紀委員長の肩書きに恥じんよーにクラスの風紀を守っ……」 「ど・こ・が・だ!!」  全く懲りていない岡山の言葉に、山口の血管は切れそうになる。  いっそ委員長権限なぞ剥奪してやろうと思うのだが、この岡山、悪気はゼロで成績もすこぶる良い。  残念ながら、山口一人の力で選挙を覆すわけにはいかないのである。 「まったく、お前という奴は……鳥取、お前も分かってるか?」  これ以上岡山に言っても無駄であると判断した山口は、その隣の鳥取に目を向ける。  だがこちらはうって変わって、いつもの快活さが嘘のようだ。  西日に染まったような赤い瞳がずっと沈んでいるのは、夕闇が近いせいばかりではないだろう。  山口の問いに、鳥取は無言で頷いた。  ――“大事な人”を怯えさせたことが、相当身に染みている様子だ。 「……ならいい。自制心を養うことも、学校生活において学ぶべき点だからな」  山口にしてみれば最後の言葉は二人に対してのものだったが、俯いた鳥取は自身に向けられたものと受け取った。  奥歯を噛み締めるようにうなだれる鳥取の様子に、山口もそれ以上かける言葉は無い。  次からは気をつけるように、と最後にそれだけ言うと、山口は引き戸を開けて教室を出て行った。 「ふぃー、センセーなんで怒るんかなー?」 「……オレが島根さん泣かしたけん……」  山口がいなくなった途端に足を崩した岡山の横で、鳥取はまだ正座をしている。  絞り出すような鳥取の言葉に、岡山は心底不思議そうな顔をした。 「アイツが泣くのはいつものことじゃろ? つーか俺が話しかけるとすぐ泣くし」 「それは岡山の言い方がキツいけえ――って、そういう話じゃなくて!」 「同じ。ちょーっとびっくりするだけでベソベソベソベソ! 鳥取も気にせず押してけばええんじゃ!」  その歯に衣着せぬ物言いに、鳥取は目を丸くする。 「そ、そげなこと言われても島根さんはオレのことなんて……」 「はぁ? 何見とるんじゃお前は!」  これだから山陰は、と苛立ったような岡山の言葉。 「島根の好きな奴がお前じゃないとかありえんわ、押せ! それで落ちんはずがねーが」 「で、でもオレ、島根さんが泣くんはイヤだし、痛いのとか、辛いのとか、そういうのも……」 「島根は! お前が他の連中にベッタベタするのが一番辛いんじゃ、察しろ!」  ――この場に広島あたりがいれば、己の空気の読めなさを棚に上げた岡山の発言にツッコミを入れたかもしれない。  だが、幸か不幸かこの場にいたのは二人だけ。  鳥取は――素直な感嘆を以って、その言葉を聞いた。 「岡山……! ありがとう、オレ目が覚めたわ! お礼にちゅーしていい?」 「いや無理、香川に殺され……ギャーッ!!」  だがその言葉空しく、鳥取は岡山に抱きついて“お礼”を済ませると、まるで飛ぶような速さで教室を出て行く。  窓の外の西日は、いつの間にか山際に消えていた。  そんな黄昏時の教室に、真っ白に燃え尽きてに残された岡山。  ……彼に迫る小柄な影の正体について、言及する必要は無いだろう。  教室を飛び出した鳥取は、しかしドアの前で途方にくれていた。  勢いをつけてみたはいいものの、やはり脳裏に焼きついた島根の涙は拭えない。  実際、今までの発作の時も何度か危険な場面はあったのだ。  そのたびにどうにかこうにかやり過ごし、あの遠慮がちな笑顔が曇ることのないようにと、必死の思いでやってきた。  もしこのドアを開けてしまえば、もし今度こそ理性の歯止めが利かなかったら――それが全部壊れてしまうかもしれない。  岡山はああ言ったが、嫌な想像は決して消えたわけではなかった。  ただでさえ人に怯えるたちの島根の信頼を失えば、再びそれを取り戻すことはきっと難しい。  それ以上に、彼が心を許せるほとんど唯一の相手が自分なのだと、鳥取は十分承知しているのだ。  その信頼を裏切ってしまうことになれば、自分で自分が許せない。 ――……どげしょーかなあ……  やり場の無いその迷いに俯いて、鳥取はドアに額を押し付け……一瞬で硬直した。 『……やめ……っ』  どこか切迫した、島根の声。 『徳島さ、ん……っ』  続けられたその名に、鳥取の頭から迷いは消し飛んだ。 「島根さん!?」  飛び込むようにドアを開く。  ――その目に入ったのは、今にもベッドに乗りかかろうとする見慣れた白衣の背中だった。 「……なんだ、来ちゃった」 「と、徳島さん! 島根さんに何を――!!」 「別に。島根君が大変そうだったきに、手伝ってあげようかと思って」  ふらりと身を起こした徳島が、面倒くさそうにがりがりと頭をかく。 「大変って、何が――?」  はっとして島根の方を見遣ると、彼もまた見開いた瞳で鳥取を見ていた。  だが、視線が合った刹那に弾かれたように顔を逸らす。  その頬は、まるで染め上げたように赤い。  拒否とも取れるその仕草に一瞬胸に痛みが走ったものの、鳥取は再び徳島の方へと向き直った。  眼鏡の向こうでにやりと笑う徳島は、すっかり“夜”の表情をしている。 「鳥取君が来たならええ。……僕は大阪にでも遊んでもらう」 「え、ちょっと待……っ!」  それだけ言い残して去ろうとする徳島の肩を慌てて掴む。  だが、徳島はそれを一瞥すると、白衣のポケットから取り出した何かをその手にぐいと押し付けた。 「これ」 「え?」  訳も分からず鳥取がそれを受け取った隙に、徳島はドアをくぐる。 「ちょ、え? コレって」 「……分かるやろ。鳥取君が原因だし、君が慰めえ」  ドアの隙間からそう言われたかと思うと、あっという間にバタンという音が響いた。  目の前で閉まったドアを呆気に取られて見つめていた鳥取だが、我に返って押し付けられたものに目を落す。  プラスチックの小さなボトルの中で、ピンク色の液体が揺れていた。 ――あ゙あ゙あ゙! 分かーけど! 分かーけどコレを使えって言われーだか徳島さんっ!!  ドアに頭を打ち付けてのたうちまわりたいような気分になるが、ぐっとこらえてボトルを握り締める。  慰める――どうやって? 「し、島根、さん……」  ゆっくりと振り向き、名を呼ぶ。  ……島根は布団を抱き込むように、ベッドの上で丸まって震えていた。  後ろ手にドアの鍵をかけたのは、ほとんど無意識でのことだった。  カチャ、というその音に、島根の身がびくりとすくんだのが気配で分かる。  一歩ずつ近付くたびにかすかに耳に届くのは、隠しきれず漏れ聞こえる嗚咽だ。  また、泣かせた。  ――ずっと笑っていて欲しいのに。 「島根さん」  返事は無い。  ベッドの横に立ち、島根を見下ろす。  身を縮めていることもあってか、その身体はひどく小さく見えた。  もっと近付こうと、立ったまま腰をかがめてベッドに両腕をつく。  ギシ、という音が響いた途端、島根はやはり怯えるように身をすくめた。 「島根さん……オレのこと、キライんなった……?」  意を決し、鳥取は一言ずつを噛み締めるように問う。  もし頷かれたらと思うと血が凍る思いがしたが、岡山の言い分を信じてみたいと思ったのだ。  じっと返答を待つ鳥取の視界で――島根が、かすかに首を横に振るのが見えた。  安堵の溜息をつくと同時に、ぐっと身を寄せる。  鼻先に近付く、あのどこか懐かしいにおい。  これ以上はまずいかもしれないと思いながら、鳥取はもう離れることが出来なかった。 「……オレのこと、怖かった?」  次の問いに対する反応は、しばらくかかった。  迷うような素振りを見せた島根は、恐る恐るといった様子で今度は首を縦に振った。 「はは、は……そげかあ……――ねえ、島根さん、じゃあオレ、ここにおらんがええ?」  自嘲のような掠れた笑い声を零し、三つ目の問いを続ける。  どのような反応でも受け入れようと、覚悟を決めての問いだった。  けれど――答えは、一瞬だった。 「――違……ッ!」  跳ね起きた島根は、行かせぬと言わんばかりにベッドに置かれた鳥取の手に己の指を重ねた。  驚きに固まる鳥取の前で、未だ涙を零す目が切望するように見開かれている。  その瞳は鏡面のように、鳥取の姿だけを映していた。 「ち、違ぁますけん……! 怖かったのは、と、鳥取さんが、おらの知らん人みたいで……」  必死で言葉を繋げる島根の右手が、強く鳥取の左手を握る。 「全然、見たこと無い鳥取さんで、それが怖あて……みんな知っとられぇのに、おらだけ知らんで……っ」  手を繋ぐ、それ自体は二人にとって決して特別な行為ではない。  今の島根にとっては、拠り所としての鳥取との日常を繋ぎとめる行為なのかもしれなかった。 「島根、さん……」 「怖あて、なのに、熱うて、と、鳥取さんが言っとらいたやに――身体が溶けそう、で」  しゃくりあげながら言う島根の顔は真赤だ。  最後の方は消え入りそうになったその言葉を、けれど鳥取は聞き逃さなかった。  握り締められていた指を絡め返すように、島根の手をぎゅっと握る。 「――じゃあ、オレの全部教えーけん……島根さんの側におってもええ?」  こくりと、島根が頷くのに迷いは無い。  それを確認した瞬間、気が付けば唇を重ねていた。  触れるだけで震える初心な反応が嬉しくもあり、同時にそれを蹂躙しようとすることにほんの少しの罪悪感を覚える。  けれど、もう止められない。  舌を追い、呼気の全てを飲み干すような口付けを続けながら、ベッドの上に片膝を乗り上げた。  怯え、身じろぎ、逃げようとするその身体を許さずに、右手で薄い肩を掴む。 「……ん、……」  ぐ、とその手に力を込め、深く口腔を犯すだけで、わずかな抵抗は一瞬にして消えた。  受け入れられているのだという実感に、じわりと胸が熱くなる。  けれど――その期を逃さず、鳥取は細い身体を押し倒した。  どさりとベッドに倒れた島根が、突然のその行動を理解していたかは分からない。  けれども、熱を帯びて潤んだ瞳は確かに鳥取を映し、唾液に濡れた唇は問うように薄く開いていた。  誘われるように再び顔を近づけ、額と額とを押し付ける。  睫毛が触れるほど近くから覗き込んだ瞳は、気恥ずかしげに伏せられた瞼に閉ざされた。  だが、これは拒絶ではないのだ。  頬にかかっている長い髪を梳きながら、唇を甘噛みするような軽い口付けを繰り返す。  このひとが好きだ、と思う。  そして、自信を持っていいのなら……きっとこのひとも、自分のことが好きなのだ。  頬に寄せていた指先で首筋を辿り、シャツのボタンを器用に外してゆく。  露になったなめらかな肌を撫でさすると、島根は眉根を寄せて身を捩った。  今はただ、くすぐったく感じているだけなのだろうけれど、もちろんそれで終わらせる気は無い。 「……ぁ、鳥取、さ……っ」  腹部に触れていた指がいよいよ下肢にかけられそうになった時、初めて島根から咎めるような声があがった。  押し留めようと伸ばされる手をやんわりと制し、啄ばむように口付ける。 「……ダメ?」 「う……だっ、て……――んっ」  頬に朱を上らせて顔を背けようとする、その顎を捉えて唇を奪う。  貪るように深く舌を絡めると島根が抵抗を忘れることは実践済みだ。  力の抜けた指をあやすように絡めた後、今度はその手で布地の上から腿に触れ、撫で上げながら腰を辿る。  ベルトも外してしまおうとバックルに手をかけようとして――気が付いた。 「……ん、島根さんもうこげな――」 「――ッ!!!」  その言葉に我に返り、島根は身を捩って逃れようとする。  だが鳥取はすかさず島根の脚の間に己の膝を割り込ませた。  両腕を押さえ込んで身動きを封じ、そのまま島根に覆いかぶさるように耳元に唇を寄せる。 「さっきからずっと、こげなんだった?」  言葉による答えは無いが、密着している素肌の胸から激しい鼓動が伝わってくる。  間違いなく感じてくれているのだと思うと、鳥取の心は浮き立った。  それが答えであるのは明白だったけれど、それでも声が聞きたい。 「ねぇ、島根さん――?」  優しく問いを重ねながら頬を撫でると、島根は泣き出しそうな顔で喉を震わせた。 「さ、きから……ぁ……っ」 「オレ、我慢さしとった? ――あ、もしかして徳島さんが言うとった大変、って、これ?」  遠慮の無い鳥取の問いに、真っ赤になって顔を背ける。  ――嘘のつけないひとだ。 「……昼間のこと、思い出しとった?」 「そ、そげなこと……っ」  羞恥心から必死で顔を逸らそうとする、その仕草は哀れなほど狼狽している。  この年齢でまさか自分ですることを知らないわけではないだろうが、こういった事態に免疫は無い様子だ。  確かに、猥談になると赤面して逃げ出すクラスメイトなど、高知と島根くらいなものである。  どうすれば落ち着いてくれるだろうか。  そう、一瞬頭を巡らせた鳥取は、ふと思いつくと――ぎゅ、と島根を抱きすくめた。 「……オレも、もうこげんなっとるし」 「ッ!?」  囁いて腰を押し付けると、布地越しに触れた昂りに島根は怯えたように身をすくめる。  これから鳥取がしようとしていることを頭では分かっていても、現実味を帯びてはいなかったのだろう。  その純朴さに付け入るような後ろめたさを感じながらも、歯止めはとうに利かなくなっていた。 「――ごめん、島根さん。オレ、もう我慢できんけぇ」 「…と、っとり、さ……んぅ……っ!」  本当は壊れ物を扱うように優しくしたいのに、それだけの理性さえ保てない。  乱暴に口付け舌を吸う、くちゅ、という水音がやけに耳に響いて痺れを誘った。  熱を分かち合いながらベルトに手をかける、その行動をもはや島根は止めようとしない。  それが受諾なのかも分からぬまま、汗ばんだ肌を辿り下肢を探った。 「んー…服が邪魔んなぁなあ……」 「ぁ、……っ!」  いささか乱暴に脚からズボンを剥ぎ取ると、悲鳴じみた声が上がる。  けれどもそれに耳を貸すこと無く、鳥取は下着の上から確かめるようにゆっくりと触れた。 「と……っ、ぁあ……っ!」  耐え切れぬ様子で漏れる声が、ひどく耳に心地いい。  誘われるままに首筋に顔をうずめて強く吸うと、嬌声を押し殺すように喉が上下する。 「ん、ぅ……っ、…ぁぅ……っ」 「は……島根さんも、我慢せんでも、ええんだで……」  言いながら、鳥取はふと右腕を伸べた。  その手が握り締めたのは、先程徳島から渡され、今までベッドの上に放られていた小さなボトルだ。  片手でひねってその蓋を外すと、どろりとした液体が溢れて指を濡らす。  ――焦らすような真似は、もうしなかった。 「ッひ、ぁ…っ!?」  直接陰茎に触れた他人の指の感覚に、組み敷いた身体が跳ねる。  粘つきをを絡めた指でこすり上げると、島根はかぶりを振って逃れようとした。 「ゃっ、と、鳥取さ…ん…っぁ、や、やめて、ごし…な……ぁあっ!」  涙を零して制止の言葉を重ねる島根の眦に、ただただ無言のままに口付けて許しを請う。  泣かせることも、辛い思いをさせることも分かっていて――それでも、もう止まれない。 「ひ……ゃ、そ、そがぁに、せんで……ぁ、…っ……!」 「――我慢さしたんはオレだけん……ほら、出してしまぁない」  他者に触れられるという、それだけでも島根にとっては耐え難い刺激であるのだろう。  鳥取を押しのけようとするも、ただでさえ細い腕に力は入っていなかった。  度を越した快感に喘ぐ唇、肩口を掴む震える指先だけを見れば、まるで縋りつかれているようだ。 「……っ、島根、さん……」  都合のいい想像だと分かっていても、身も世もあらぬ姿を見せる島根を目にすれば自身もまた煽られる。  荒く息を吐きながら名を呼び、刺激を強めてやれば、その身体はあっけなく上りつめた。 「あぁッ…ぅく、…ひ、ぅう……ッあ、あぁあっ!」  悲鳴と共に吐き出された精が、なだらかに白い腹に散った。  瞬間、緊張の抜けた身体は糸が切れたように弛緩する。 「は……、ぁ……」  ぐったりとシーツに沈む耳元に、くすくすと笑いながら唇を寄せる。 「えらい早えかったなあ、溜まっちょった?」 「!? ち、違ぁますけんっ!!」 「ははっ、ごめんにぃ、冗談! ――ひとにされえのは気持ちええが?」  慌てた様子で赤面する島根に笑いかけて、確かめるように問いを続けた。 「そ……っ」  直接的なその物言いに、島根は一音発したまま言葉を失った。  真っ赤な顔をぎしぎしと音が聞こえそうなほどぎこちなく鳥取から逸らし、視線をさまよわせ――  だが、何かを決心したのか、その視線をゆっくりと鳥取に戻す。 「と……とっ…とり、さん、も」 「うん?」 「おらばっかぁ、してもらうのは……その……――と、鳥取さんの、おらも、しますけん……!」 「――へっ?」  必死の表情で言い出したその内容に、鳥取は目を丸くする。  予想もしなかった申し出であるが、その提案は実に魅力的だ。  技術は期待できないにしても、細い指がたどたどしくも健気に愛撫する様子を想像するだけで堪らないものがある。  ……実際、そんな状況を妄想したことが無かったかと言われれば、嘘になるというものだ。  だが―― 「……そーもええけど、オレはこっちん方が」 「ひゃ……っ!?」  未だ力の抜けていた脚を掴み、ぐいと持ち上げて開かせる。  突然のことに羞恥が追いつかない様子の島根であったが、曝け出される形になった後孔に指が触れる感覚に我に返った。  ローションと精液とが入り混じる、濡れた指先がなぞるように触れる。 「鳥取さん!? ど、どげしてそげんトコ……っ」 「ん、だけんね、ココにオレの――」 「ああぁあっ!! い、言わんでごしない!!」  皆まで言わせず島根は察したようだった。  もはや顔色は青いのか赤いのか分からない。  脚を持ち上げられて組み敷かれた体勢からは振り切って逃げることも出来ず、ひたすら顔を逸らそうとする。  ――ここまで来て、最後までしないとは思っていたのだろうか。  しかし鳥取とてここで引き返すわけにはいかない。 「……ダメ?」  ひどく残念そうな口ぶりで首を傾げてみる。  決して計算したわけではないが――島根は、鳥取のこういった仕草に弱いのだ。  この土壇場の状況にあってもそれが通用したようで、島根はぐっと言葉に詰まる。  しばらく唇を結んでいたかと思うと、ようやく口を開いてしどろもどろに訴えはじめた。 「だっ、て……と、鳥取さんの……えらいがいなけん……おらには、無理だないか――っひぁ!」 「――大丈夫、ようけ慣らすわ」  何とか理性を保ったまま、鳥取はその言葉通り揉み解すようにゆっくりと後孔を探る。  掌に溢れている液体を塗りこめられる感触に、島根が柳眉を寄せて逃れようとするのを、半ば強引に押さえつけた。 「ぅ……鳥取、さん……っ」  指先が触れるばかりだが、やはり異物感はすぐには拭えまい。  ……だが、そろそろだろう。 「は……ぅ……、く……ぁ……」  目に見えて、島根の息が上がってきている。  一度萎えていた陰茎が、直に触れてもいないのにじわりと質量を増した。  感度を高め快楽を引きずり出すようなその薬効。  ローションを持っていたのが徳島であることを考えれば、予測できたものである。  後孔がひくつく頃になり、鳥取はその場所にようやく指を差し入れた。  濡れた指の腹で擦り、押し広げるように内部を慣らす。 「ちいと力、抜いてごせや……」 「……ぅ、……っ」  はらわたを探られる感覚に、島根の唇から苦しげな声が漏れた。  だがそれも、時間をかけているうちに別の色へと変わってゆく。 「く、……っぁ、とっ……ぁあ……っ!」 「……島根さん、も、ええ……?」  承諾を請う己の声が、ひどく上ずっていることを自覚する。  熱を帯びたその声音に、きっと島根も感付いているのだろう。  うっすらと開かれた瞳は涙を浮かべていながらも――それでも確かに、頷いた。 「島根さん……っ」 「ぁああ――っく、ぅう……っ!」  昂りを後孔に押し当てて腰を進めるが、それでもやはりそこは熱く、狭い。  ローションを再び手にとって己のものに擦りつけ、ようやく収まった先端に息をつく。  それだけでも苦しいのだろう、瞼をきつく閉じ、短く息を吐く島根の様子に胸が詰まった。 「は、っあ、……ッぁ!」 「っ……大、丈夫、だか……?」  決して無理を強いたくは無いのだ。  鳥取の問いかけに、涙を浮かべた目が薄く開かれる。  どこか朦朧としたその瞳は、鳥取の姿を捉えた瞬間――かすかに、微笑んだ。 「へ…き、です、けん……鳥取さん、が、…ええやに、して……」 「……ッ!」  辛そうな、けれども甘く掠れたその言葉に、鳥取の頭から自制の二文字は消し飛んだ。  細い腰を掴み、力任せに引き寄せれば、引きつったような悲鳴が上がる。  こんな思いをさせたいわけではない――こうなると分かっていたから、耐えてきたのに。  それでも慣らした内部は熱く、溶けそうで、その狭ささえ言いようも無い快感を生んだ。 「…ひ、……っぅ、…っく……っ」  島根は己の言葉に殉じるように、拒否を示すことは無かった。  シーツを掴み、唇を噛み締めて暴力的とも言えるこの行為に耐えている。  その姿は痛ましく、しかしもはや止まることも出来ず、鳥取は身をかがめて唇を重ねた。  舌で探り、深く口付けるのと同じように、更に奥へと腰を進め、犯してゆく。  痛みを忘れようとしているのか、島根は無意識のうちに必死で舌を追ってきた。  時折びくりと身体が跳ねる度に唇を噛まれたが、その痛みなど己が島根に与えているものに比べれば微々たるものだ。  随分長い時間をかけて全てを収めた鳥取は、唇を離して微笑んだ。 「は…っぁ、コレで、全部入ったけん……島根さん、分かぁ…?」  涙の跡を拭うように頬を撫でながらそう問うと、島根は恥ずかしげに目を逸らす。  その表情を見ればまだ辛い状態にあることは分かりきっていたが――しかし、これで終わりではない。 「……ぁあっ!?」  腰を掴んだまま、軽く突き上げる。  絡みつくような粘膜を押し分ける感覚に、眩暈がする程の快楽を感じた。  島根の辛そうな表情に心苦しさを覚えるが、それでも身体は勝手に動くようだった。  せめて独りよがりにはならぬようにと、島根の陰茎に指をかけて擦り立てる。 「ひ、…っぁぅ、ん…っく、ぁあ…ッ」  突き上げるたびに漏れる苦痛の喘ぎの中に、それでも時折艶が混じった。  島根の身体が好むやり方を、その繰り返しの中で見つけ出してゆく。  ぐちゅ、と淫猥な音を立てる内部は、その場所がようやく慣れ始めていることを示していた。 「や…っ、んん…、ぅう、…っあ、ぁ…っ!」 「島根さん…っ、…もっと、気持ちよに…しちゃあけん…っ」 「っぁ、ん…っぅ、…とっ…ぁ…っああ……っ」  見つけ出した場所に、楔を穿つように腰を打ち付ける。  反らされた喉から漏れる嬌声にもはや苦痛の色はほとんど無い。  寮の簡素なベッドがギシギシと安っぽい音を立てていたが、互いの耳に入るのは濡れた音と息遣いばかりだ。 「…と…っとり、さ……ぁあっ、や…っ」 「……っは、…どげ、しなった……?」  名を呼ばれたことを問うと、シーツを掴んでいた腕が伸びてきた。  まるで求めるような仕草に、鳥取はその腕を取って己の首に回してやる。 「……こうが、ええ?」 「ん…っ、鳥取、さん…っ」  身体を折り曲げられるようなその体勢は辛かろうに、ぎゅうとしがみついてくる。  そんな仕草にさえ情欲を煽られる自分は、本当にただの獣に成り果てたようだ。  脳裏にわずかに残る理性でそんなことを思いながらも、鳥取は本能に従った。 「ぁああっ、や、と…っと、り…、さん…っんぅ、っく、あぁ…っ!」  華奢な身体を食い尽くすように突き上げる。  島根は自らを蹂躙する相手の名を呼び、すがり付いてくる。  正体を無くしたように乱れ、喘ぐその様子さえ愛おしいと思う。  もうずっと前から、このひとのことが欲しかった―― 「島根さん…っ、く、…!」 「あぁ…っ、あっ、…っぁ、…やぅ…ッ!」  湧き上がる欲求に従い、ひたすらに求める。  繋がった部分から脳まで突き抜けるような快楽が、何度も体内を駆け巡った。   限界が近い。  一度達した島根の陰茎もまた、互いの腹の間で擦れて再び勃ち上がっていた。 「と…とり、さ……っぁあ、やっ…、ぁ、もう…っ」 「…っは、“もう”なんだあか…? 言ってごせや、島根さん…!」 「ぁあ…っ、ひ…、もう…おらあ…っ、あぁあっ、ゆ、許してごしない…っ」  首もとにかじりつかれたまま、涙交じりの嬌声が耳に届く。 「ひ…ぁあっ、…めげて、しまぁ…っもう…、もう無体せんで…っぁあ!」  解放して欲しいのだと懇願する、その声音が心地よく響く。  ずっと聞いていたいような気もしたが、きゅうと締め付ける内部は無理矢理絞り出そうとでもするようだ。  これで最後だと、鳥取は島根の下腹部に手を伸ばす。 「…っ、島根さん……っ!」 「や…っぁ、ッひ、と…っとり、さ、…ぁ、あぁあ――!」  指を絡めてしごいてやると、組み敷いた身体はがくがくと震えながら達した。  熱く溶けきった内部が収縮し、鳥取に絡みつく。 「――くぅ…ッ島根、さん…!」 「……ぁ、……は、ぅ…」  堪らず中に吐き出した精を感じたのか、島根はくたりと弛緩したまま吐息を漏らす。  鳥取も力の抜けた身体で崩れるように島根に覆いかぶさった。  荒い息が近い。  視線が交錯し、無言のまま、どちらからとも無く唇を重ねた。  手に入れたのだ、と思う。  腕の中にあるこの身体とは、ずっと昔から、一つであったような気さえする。  いつもならば冬の訪れと共に身を焦がし、春になれば溶けて消えるはずの情欲が――  厄介にも、すっかり根雪のように胸に居ついた予感がした。 「……ん、もう一回――」 「…………え、……? っぁ、鳥取さ……――!?」                        暗転。 --------------------------------------------------------------------------- 多分鳥取は次の日の真昼間の教室で岡山と徳島に最中の状況を嬉しそうに報告して クラス委員広島と純情高知にブン殴られるよ